本記事は2016年2月1日に「日刊デジタルクリエイターズ」へ寄稿した記事に修正を加えて再掲したものです。
◎──江戸時代と世界史
前々回の元禄文化の話あたりで、江戸時代前期の話はひと区切り。次は中期に進むのですが、その前に今回は、このあたり世界の他の地域では何が起こっていたのか、年表を付き合わせて見てみたいと思います。
といっても、世界史はまったく詳しくないし、範囲も広大すぎるので、有名な人とか出来事だけを拾っていきますね。
1600年 関ヶ原の戦い
1603年 江戸幕府成立
1614年 大坂冬の陣
1615年 大坂夏の陣 豊臣氏滅亡
1616年 徳川家康が亡くなる
と、このあたりから江戸時代は始まるわけですが、ちょうど西暦でもキリ良くほぼ17世紀(1601-1700)と共にスタート。
信長の時代に既に、宣教師が遙か海の彼方から色々と先進的なものを運んできているので、ヨーロッパは日本に比べずいぶん進んでいると思いがちですが、17世紀の半ばくらいまで魔女狩りやってたんですよ、ヨーロッパ。
科学と宗教がちょっとアンバランス。コペルニクスの地動説がローマ教皇庁に異端として禁じられ、ガリレオ・ガリレイが最初に裁判にかけられたのが1616年のこと。
確かに科学は日本より発達していますが、精神面ではどっこいどっこいという感じでしょうかね。
精神面というか文化面では、シェークスピアが亡くなったのが1616年のこと。『ハムレット』の発表が1600年頃といわれています。
なお元禄のシェークスピアこと近松門左衛門が『曽根崎心中』を発表したのが1703年ですので、両者にはざっくり100年ほどの差があります。
またフランスで絶対王政を確立したルイ13世が生まれたのが1601年。ルイ13世といえば、デュマの『三銃士』で描かれた人です。ダルタニャンがでてくる、あれです。三銃士なのに四人が活躍するあれです。銃士なのに剣での斬り合いが中心のあれです。
真偽は知りませんが、ルイ13世は王妃との不仲などで心労から若くしてハゲまして、宰相リシュリューの提案で宮廷装束にカツラが導入されたそうです。
1614年には日本の使節が初めてヨーロッパ入りしています。伊達政宗が宣教師ソテロを正使、支倉常長を副使として、スペイン国王フェリペ3世、ローマ教皇パウルス5世のもとに派遣した使節で、「慶長遣欧使節」と呼ばれるものです。
が、行って帰ってきたら、キリスト教は禁止されるわ、鎖国の流れだわと、もう、踏んだり蹴ったりで。せっかく行ったのに。
1616年、中国大陸では後に清となる後金が成立。ラストエンペラーの時代まで続きます。
およそ江戸時代の最初期は、こんな感じ。
◎──だいたい家光〜綱吉の頃
1623年 徳川家光が三代将軍に
1629年 紫衣事件
1637年 島原の乱
1651年 徳川家綱が四代将軍に。由井正雪の乱
1680年 徳川綱吉が五代将軍に
1702年 赤穂事件
ピルグリム・ファーザーズがメイフラワー号でイングランドから北米のニューイングランド地方へ渡ったのが1620年。1628年にはイングランドで議会の同意なしに課税できないようにする「権利の請願」が出され、1641年には、同じくイングランドで清教徒革命が起きています。なかなかに激動の時代です。
アジアでも、明が滅び清が中国を支配するのが1644年から1645年のこと。鎖国もあってか日本はわりと穏やかな時代ですが、世界は大きく動いてますね。
科学も大きく発達した時代で、1620年、イングランドでは初の潜水艇が作られています。また1643年にはニュートンが生まれ、1665年には万有引力に気づきます。そんなニュートンですが、錬金術にもハマっています。フランスでは、1623年にパスカルが生まれ、科学や哲学に大きな功績を残しています。
1689年、イングランドで「権利の章典」が成立。同じ年、日本では松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅に出かけます。なお、芭蕉は忍者だったとの説が。
このあたりの出来事を見ていると、日本は世界の動きから取り残されて見える部分もありますが、以前に紹介した和算の大家・関孝和のように、能力自体は世界トップクラスの人物を輩出しています。
良し悪しは別にして、鎖国の影響って大きかったんだなと改めて思います。
◎──さて、次回は江戸中期へ
ちょっとまとまりに欠けたなと自分でも思う今回。
いや、書き始めた時点では、もう少し世界との関連が見えたり意外な同時代人が見つかったりすると思ってたんですよ。
そしたら、そうでもなかった。鎖国のせいなのね、そうなのね。
ちゃんと掘り下げたら出てくるかも知れませんけど、もう次に行きます。次回からは江戸中期に。吉宗の話くらいですかね。暴れん坊の。ああ、でも、ちょっと違う話を挟むかも。
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